2018年10月15日

王貞治「俺は辞めない」

ダイエー・ソフトバンク監督時代 
王貞治wikipediaより

1994年10月12日、福岡ダイエーホークスの監督に就任(1990年夏アマチュア野球ワールドオールスターゲームで山中正竹監督を名誉監督として補佐し後にホークスでも王監督の下でプレーする佐藤真一がMVP選出される活躍でアーロン名誉監督の西軍破った。同年オフ、オリックスから監督就任の誘いを拒否、1992年には日本ハム・横浜両球団の監督就任の誘いを拒否)。この年チームは4位ながら貯金9と躍進しており、1995年は大物助っ人のケビン・ミッチェルや、西武ライオンズから工藤公康・石毛宏典が加入するなど期待は大きかったが、故障者続出などにより借金18の5位に終わる。

翌1996年5月9日、日生球場で行われた対近鉄バファローズ戦では、この頃最下位を走るダイエーファンから、王や球団代表・瀬戸山隆三を強烈に批判する内容の横断幕が掲げられた。試合は初回、秋山幸二の本塁打で先制したものの、先発の吉田豊彦が逆転を許し、9回表に吉永幸一郎の本塁打で1点差まで迫るが、2-3で近鉄に敗れた。

その後球場から出てきたナインの乗ったバスに、「お前らプロか?」と言う罵声を皮切りに次々と生卵がぶつけられる事件が勃発した(いわゆる「生卵事件」)。この事に対し、王は「俺はこんな仕打ちをされるために、博多に来たんじゃない!」と激怒した。この時、王は「我々が卵を投げ返すのは簡単だが、これをファンの意見と取るならば、勝つ事しかないんだよ」とコメントした(この試合は、日生球場で行われた最後のプロ野球公式戦である。それから10年後の2006年5月9日、日生球場の跡地で「生卵事件を偲ぶ会」を当時の近鉄ファンとダイエーファンが行っている)。

巨人監督を辞任する際にV逸の責任を「球団フロントから問われた」のとは違い、「チームのファンから」心無い仕打ちを受けるという、スター街道を進んできた王にとっては今まで味わった事のないほどの耐え難き屈辱を受ける時期が続いた。王はそれらに対し、ひたすら「俺は辞めない」「我々は勝つしかない。勝てばファンも拍手で迎えてくれる」と発言しながら耐え忍び続けた。





1994年からホークスの監督になられた王貞治さんがどれだけ苦しい思いをされたか。どれだけ素晴らしい選手でも、素晴らしい結果を出す監督になるには時間がかかるのでしょう。選手を引退してわずか三年で誰が結果をだせるでしょうか?二人は素晴らしい選手でした。しかし初めての監督は結果は出ませんでした。三年後、五年後、次の機会は恐ろしい監督となって帰ってくるでしょう。グランドを離れて野球から離れて、世界から日本の野球を見た時に「あっ!」と思う新しい発見がたくさん見つかるでしょう。野球を始めたのが8歳~10歳だとすれば30〜40年近く野球一筋ですから、外の世界は何もかもが新鮮に感じるでしょう。二人は野球界を代表とする素晴らしい選手でした。10年後20年後はきっと素晴らしい監督として野球界を支える中心となるでしょう。

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金本監督(2016~2018年)50歳

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高橋由監督(2016~2018年)43歳


選手を引退してすぐに監督三年間。
これは球団の無茶ぶりだよ。。。


posted by metoo at 00:15| 千葉 ☁| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
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