いつ誰がどんな理由から始まった言葉だったのでしょうか?
権藤 権藤 雨 権藤 (つづき) 雨 雨 権藤 雨 権藤
1961年のプロ野球はペナントレース130試合ありました。
その130試合の中で
権藤博投手は69試合に登板 44試合に先発 32試合に完投 年間429.1イニングを投げ35勝を新人であげました。
稲尾和久さんの記録
杉浦忠さんの記録
1950年〜60年代 当時「エース」と呼ばれる投手は先発・リリーフの双方をこなすことが当たり前で、週2・3回の登板や連投も珍しくなかった。酷使が原因による故障などで選手寿命を縮める投手が相次ぎ、これがきっかけで先発ローテーション制を整備する動きが見られるようになった。Wikipedeiaより

入団一年目に69試合に登板して35勝。
二年目は多少減るものの61試合に登板して30勝をあげた。私は自分が潰れるとは思っていなかった。「投げて潰れるなら本望」とも思っていた。しかし気持ちがあっても体は二年間の酷使によってボロボロになっていた。三年目からは思い通りの球が投げれなくなり、五年目からは途中から野手に転向することになった。
(教えない教え 権藤博 より)
「投手の肩は消耗品」と唱えた権藤さんの著書を読んでみました。
わずか五年で終わってしまったプロ野球。
自分が体験した苦労を次世代には残したくない。
そのような思いがあって「投手の肩は消耗品」の言葉となったのでしょう。
ただし、この記事では権藤さんも迷っています。
済美・安楽の772球 米国人から見た高校野球(上)
済美・安楽の772球 米国人から見た高校野球(下)
権藤氏は一貫して、「高校生に(投げないという)判断ができるだろうか。ならば、監督が勇気を持って『今日は投げるな』というべきだ」という立場だった。
過去、登板過多が原因とみられる肩の故障でキャリアを縮めてしまった経験から、権藤氏は高校生の投手を守るべきだと訴えたのだ。それはプロで投手コーチを長く務めてきた経験からの意見でもあった。
ところが、ジョーンズ記者が「それでは、日本野球の美しさを失うことになりませんか」と聞くと、権藤氏が考え込んでしまった。
そして、ゆっくりと言った。「そうかもしれないね。しかも、甲子園の決勝で投げるななんて、自分は言えるだろうか」
日本野球の美しさ
選手の自主性を尊重
でも、酷使はしてほしくない。
権藤さんも絶対に答えはこれだ!とは言いきれないようですね。
【松井秀喜氏の野球考】無理がある高校野球の投手起用
甲子園も米国も経験した今の僕は、高校野球の投手起用には、やはり無理があると考える。とことん投げたいのは分かる。僕が投手でも甲子園のためなら壊れてもいいと思ったはずだ。だからこそ指導者の判断、管理が必要だと思う。
佑ちゃん「高校野球の球数制限は反対」 指導者の成熟に期待
「もちろん、あの時はしんどかったです。ただ、もし自分の後輩が同じように投げたいって言ったら止められません。高校野球で球数制限はどうなんだろう…。僕自身は正しいフォームで投げていれば球数が多くなっても肩肘への負担は少ないと思っています。負担の軽減はルールで縛るのではなく2、3番手投手を作ることを含めて、指導者が責任を持つべき。日程の緩和は必要と思いますが球数制限には反対です」
松井秀樹さん、斎藤祐樹投手の意見、二人とも指導者に向けられていますね。
そして権藤さんも指導者の資格について語っています。
アメリカメジャーリーグでは、指導者の経験がまったくない人間がいきなり監督になってしまうことはあり得ない。どんなに短くても五年は下積みをしなければならない。指導者には「教える」よりも多くのことを「学ぶ」ことを権藤さんは求めています。
忘れちゃいけませんが、今夏の甲子園大会はいろいろ問題はありましたが、最も大きな問題は県大会から痛みを抱えているのを知っていながら登板させた監督がいました。これでは50年前と何も変わっていません。とても残念です。
・メンタル - 考え方 投球との向き合い方
・メカニック - 投球動作
・トレーニング - 投球のための身体作り
・メンテナンス - 投球後の疲労回復、休養と栄養
何かを制限するだけではなく、
この四つを繋げて考える、それが今の私の答えです。
投球動作(メカニック)だけを直しても良くなりません。
メカニックだけを修正しても違う箇所を故障します。
どんなボールを投げたいか
投げたいボールのためのメカニック
メカニックのためのトレーニング
トレーニングのためのメンテナンス
全てを大人が教えちゃうと何も育ちませんけどね^^
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