少年サッカー7つの心得−その1子供のサッカーは「遊び」であり、それは「楽しく」なくてはなりません。本文では、子供達が初めて接する「サッカー」は「ハードワーク」ではなく「遊び」である事を忘れるな、と述べております。
そして、それが彼らの「生活の一部」になるように、「試合の結果」ではなく、子供達が友達と一緒にプレーを楽しむ姿」に満足するようにしなさい、と書かれております。
この「子供にとっての遊び」「楽しさ」を我々はどう考えれば良いのでしょうか?
ほとんどの指導者は、「楽しくサッカーを!」、「遊びの延長線上にサッカーがある」「ボールと遊び、親しむように」という考え方を「低学年」のうちは採用しているように思えます。
ただ、チームにより、3年生あたりから(極端なところは1,2年生の頃から)指導者が「楽しみ=試合に勝つこと」という大人流の理論のすり替えをして、子供達に「組織サッカー」をさせているようなチームも存在しています。
本当に「勝つこと=子供の楽しみ」なのでしょうか?「勝つため」に練習を始めた瞬間からそれは「遊び」ではなくなり「義務」として子供達に押しつけられているのではないでしょうか?
「試合に勝ったら親やコーチが喜ぶ=褒められる=嬉しい=楽しい」という方程式は確かに成り立ちますが、「親やコーチが喜ぶ」からサッカーをするのならば、それはもう「遊び」ではなく「義務」になってしまうのではないでしょうか?
「遊び」とは「好きな時にやり始めて、好きな時に止められ、周囲に拘束されない自由な活動」であるはずです。子供達が勝手に遊んでいる姿を良く観察しているとそれが良く判ります。
遊びたくなったら勝手に遊び始め、飽きたら止める。実に単純明快です(^^;。それが楽しければ続けるし楽しくなければいろいろ自分達でルールを作ったり、いきなり違う遊びに切り替えたり(^^;それこそ、大人の目で見ると「何をやっとんのじゃぁ」という感じです。
サッカーに限らず、「スポーツ活動」と「遊び」の根本的な違いは「やりたい事をやれる自由」と「止めたくなったら止められる自由」そして、「ルールを勝手に作れる自由(^^;)があるかないか、なのだと思います。
サッカーを教えていると、どうしても子供達の、活動の自由に対して「制約」を与えざるを得ません。団体競技ですし、グランドや時間の制約もある中で活動しているのですから、そういった物理的な制約だってあります。
でも、最低限の「規律・制約」を守らせた中で「自由に遊ばせ」かつ、それが「練習」になっているようなメニューを工夫する必要が指導者にはあるのではないでしょうか?
私は、少なくとも小学校3年生まではこうした「自由な遊び」を中心に、「遊び」の中でボール扱いを覚えさせるような練習で十分である、と思っております。
こうした指導をしていると、低学年からポジションがちがちのチームには絶対に負けてしまいます。
試合には勝てないけど、「楽しく」サッカーができるように指導者や親が我慢できるか/できないか、がチームとしてどういった方向に進むのかの分かれ目になるのだと思います。
少年サッカー7つの心得−その2子供のサッカーで最も大切な事は、友達と一緒にプレーする事です。本文では、我々(つまり大人)は昔、公園や近所の芝生で友人と会って、サッカーを楽しんでいたはずであり、それは子供達にとっても同じである、と述べられています。
・・・・・ノルウェーと日本では、まずその前提が完全に違っている(^^;のですが、まぁ、それは置いておきましょう(笑)
さらに、こういった友情がチームスピリットを築いて行くことになるので、クラスメイトや近所の子供達を出来る限り一緒に、同じチームで練習させるべきだ、と結んでおります。
・・・当たり前と言ったら当たり前の事なのですが、昨今の日本の子供達の環境を考えると、なかなか額面通りには物事が進まないのかもしれません。
子供は外部との接触の中で成長して行きます。幼児期の「親=家族」だけの「暖かい環境」から、自分とまったく違う他人(=友達)や、環境(=学校やサッカークラブ)に出会い、刺激を受け、考え、悩み、少しずつ大人になって行きます。
子供の成長過程における友達の果たす役割の大切さは、私などが今更言うまでもない事なのですが、「人間は社会的な生き物である」とするならば、「社会」を最初に体験するのは多分小学校時代の「友達」なのではないでしょうか?
最近の子供は友達が少ない、と良く言われます。サッカーや野球等の学校外の活動をしていない子供の場合、学校から帰ると家に閉じこもったきりとなり、誰とも遊ばない子供が多いそうです。「他人」との接触による刺激を受けずに成長すると「 社会的」な感性が欠如し、陰惨ないじめや犯罪に走る事もあるという事です。
・・・我々「少年サッカーの指導者」がそこまで責任を持てるか!という話も当然ありますが(笑)、少なくとも、今の日本で「友達と遊べる」場を提供している数少ない環境の一つになっている、という「事実」は受け入れるべきだと思います 。
「友達同士」でプレーし、お互いを尊重し、同じ目的のために皆で協力して共に達成感を得る。そういった経験をたくさんさせてあげなければならないのだと思い ます。
少年サッカー7つの心得−その3すべての子供に同じ時間プレーさせてあげて下さい!本文では「ベンチに座っていて上手くなる子供はいない」し、また、「誰もがプレーしている時が楽しい」のだ、と述べております。「誰が将来優れた選手になるか解っている人もいない」し、「少年のスター」が「大人のスター」になることはまれな事であり「地域のチャンピオンシップはそれ自体が目標ではない」と言い切っております。
その上で、「試合に勝たせようとこの年代からトップチームを形成する」のではなく、
「誰もが同じ時間プレー」し「誰もが先発メンバー」になれるようにするべきだ
と述べております。
いろいろなポジションを経験させてあげる事が大切であり、「誰もが可能性を秘めている」という事をしっかり認識する事が指導者として大切であると結んでおります。
・・・ほとんど補足する事がないですね、これは。
まぁ、現場で子供達を指導している立場から言うと、理想はそうなのだけど、実際には個人の能力差は結構あったりしますので、「勝つこと」を目標にした試合において「すべての子供を均等に」扱うのにはかなりの決断を必要とします
私は、あまり勝ち負けにはこだわらないタイプの指導者ではありますが (^^ゞ、やはり「競技スポーツ」である以上、「勝つ」という事と「負ける」という事を真剣にこだわる試合もあって良いと思っております。(うちの場合、秋の市大会をその試合として目標設定しております。よって、逆に言えば、年に1回程度しかこだわってない、とも言えるのですが、そういった、目標に設定した試合の中で全ての子供を均等に出場させるのは本当に難しい問題です。
・・・「勝つこと」と「負けること」については「心得その4」で出てきますのでその時にまたコメントしますが、すべての子供に均等にチャンスを与え、「可能性の芽」を伸ばしてあげようとすると、この「勝ち/負け」の問題が必ず出てきます。
「あの子が何故出場しないの?」「何故あのポジションなの?」「どうしてあの子が先発なの?」
・・・周囲の親からは必ずいろいろな声が聞こえてきます。
「普段のポジションなら勝てたのに・・・」とか「今日は○○君がいなかったから負けたんだ」とか「監督(コーチ)は負けるために試合をしているのか!!!」とか(笑)
この問題は指導者が「勝ち負け」にどうこだわるか、を明確にしていないと必ず起こる事なのかもしれません。「勝ち負け」より「子供の可能性」を伸ばすことを重点に置いているのだ!と言い切る信念と勇気(^^;がきっと必要なのだと思います。
少年サッカー7つの心得−その4子供達に「勝ち」と「負け」の両方を学ばせて下さい! 本文では「試合でも練習でも力を均等にする」する事が大切であると述べております。
「誰も負けたくない」し「2倍の得点で勝っても面白くない」はずで、そういった「勝つこと」「負けること」の両方を受け入れることを学ばせるべきだと言っております。
そのためには大人が「負け」を受け入れることができるかどうかが重要であり、それが出来たならば子供も自然に学ぶ事が出来るはずだ、と述べております。
「サッカーは誰もが勝ち、そして誰もが負けるスポーツ」で「勝てば誰もがその勝利を自分のものとして家まで持ち帰り、負ければそれは皆で分け合えばよいのだ」と結んでおります。
・・・「勝つこと・負けること」に対する視点が問題なのですよね。
この視点がずれているといろいろ問題が起こるのではないでしょうか。
先の発言でも述べましたが、少年のサッカーはまず「楽しむ」ことが基本にあります。その中でいかに「勝ち・負け」を学ばせて行くか、その「勝敗にこだわる部分」と「楽しさにこだわる部分」のバランスが重要なのだと思います。
この心得では「負けても良い」とは決して言っておりません。「競技スポーツ」である以上、「勝者と敗者」が存在します。
全日本少年サッカー大会などは「勝者は1チーム」です。残りの何千という「敗者」の上にたった1チームのみ「勝者」が存在します。「競技」である以上それはそれで受け入れなければならない事実です。
・・・でも、その「勝者」になることが「目的」であってはならないのだと思います。試合に臨む時の「目標」は勝つことであるかもしれませんが、「目的」を「勝つこと」のみに設定するのは間違っていると私は考えます。
敗者の上に勝者がおり、「誰もが勝ち、誰もが負ける」のです。
それを「勝つこと」だけを「目的」に設定してしまうと、「負け」たらもう何も残りません、よく負けた時に子供達をボロクソに叱る指導者がおりますが自分の悔しさを子供達相手に「憂さ晴らし」しているようにしか私には見えません、こういったタイプの指導者は「勝つことだけ」にこだわっているのでしょう。そして彼自身が「負け」を受け入れることができない(笑)。
少年サッカーを指導してゆく上での「目的」は「サッカー大好き人間を育てる」ことだと私は思っております。
その中で能力のある子供には将来に続く技術的な基礎をしっかり教え、能力的に劣っている、将来サッカー選手としては決して大成しない大部分の子供にも「サッカーの楽しさ」を教えて「生涯スポーツ」として楽しむための基礎を作ってあげる。
これが我々に課された「義務」であり我々が「目的」としなければならない事なのではないでしょうか?
その「楽しさ」「悔しさ」を教える場が「試合」であり「勝ち負け」であるのだと思います。
「試合の「目標」は勝つ事である。しかし、「目的」は勝つ喜びと負ける悔しさの両方を学ばせ、子供達を育てる事である。」 by鈴木
少年サッカー7つの心得−その5対外試合よりも、クラブでの練習を! 本文では「一般的に子供のサッカーでは試合より練習の方が多くあるべき」であり、「チームの練習以外に自分で行う練習」が極めて大事である、と述べております。
そして、「試合が多すぎる」と「自主的な練習だけではく、サッカー以外のスポーツや活動を妨げ」ることになるので、「10歳以下の子供達には年間20試合以下、11〜12歳の子供は年間25試合以下」にすべきだ、と結んでおります。
・・・この項には(多分日本協会の)コメントが付いており、ここで言う「試合」とは「対外試合」を指している、という事と、「移動時間で子供を拘束するのを極力避け、自分のクラブ、あるいは隣のクラブとの中で楽しく行える工夫」をしようという意味だ、という解釈が附記されております。
年間20〜25試合といったら、月1回、1日2試合のペースですね。
これが多いと見るか少ないと見るかは各地の協会事情やチーム事情、そして指導者の考え方<により千差万別だと思います。
私の住む川崎市の6年生男子の場合、公式戦すべてファイナルまで残ったとしたら、それだけで年間24試合はする事になります(県大会、全日本は除きます、区の大会で+8試合はありますし、それに招待大会や交流戦を入れたら・・・・
公式戦の少ない低学年ではこのペースを守れるかもしれませんが、実体としてはどこのチームも年間最低4〜50試合近くはしているのではないでしょうか?
まぁ、この「心得」の主旨が、試合数を少なくしろ!という事ではなく、「移動時間」を減らして「自主的な練習やサッカー以外の活動」の時間が取れるように配慮すべきだ、という所にあるのは理解出来るのですが、いろいろ付き合いもあるので声をかけられて断り続ける、というのもちょっと辛いものがあります。
また、チームの子供達で、「お出かけ」するのもそれなりに「団結」というか「仲間意識」を持たせるために有効だったりしますので、これまた悩ましい。
・・・要は外に出る回数(時間)とホームで練習する回数(時間)とのバランスが問題なのだと思います。
で、どの位の比率が適切なのか私も良く解りませんが、多分、7:3(8:2?)位で「ホームでの練習」を重視するのが良いのだと思います。
・・・この項に関してはメチャクチャ歯切れが悪いですね。
少年サッカー7つの心得−その6子供のサッカーにはバラエティに富んだ活動が大切! 本文では、いろいろな「スポーツ経験はサッカーのスキル向上に大いに役立」つので、子供達には「複数のスポーツ活動」に参加するよう勧め、コーディネートしなさい、と述べております。
また、冬(シーズンオフですね(^^;「ノルウェー」のお話ですから(笑))においては「サッカーは自発的な活動」にまかせ、「年間を通しては練習に参加しない子供でもチームの中で、同様にプレーできるように」配慮しましょう、と結んでおります。
「トレーニングの5原則」というのがありまして、その中でもこれは言われております(「全体性の原則」という奴です)。
小学生年代に限らず、体の発達を考えたらある「特定競技」ばかりをやるよりも「いろいろな競技」に参加して体全体をバランス良く使い、発達させるのが理想です。
・・・まぁ、理屈では十分に解っているのですが、なかなか実現させるとなると難しいですね。
これはただでさえ短い練習時間の中で、いろいろ教えたい事は山程あり、しかもあせってはいけない、というかんじがらめ状態で他のスポーツで遊ばせる余裕なぞあってたまるか!・・・ってのが正直な所かもしれません(笑)。
サッカー以外に「水泳」や「剣道」「柔道」等の個人競技を掛け持ちでやっている子供は良いのですが、「サッカー一筋」という子供の方が多いのは多分どこのチームでも同じだと思います。
ただ、「サッカーの練習」にも他のスポーツの要素を取り入れる事は可能ですよね。例えば、パス&ムーブの練習にバスケットボールをやらせる、とか、ボディバランスの練習にマットを引っぱり出して床運動をさせたり、平均台を使ったり、とか。
サッカーの場合、下半身にかなり負荷がかかりますので、上半身のバランスを取るためにハンドボールみたいな運動も良いかもしれません。
大人になってボディバランスが極端に悪い選手や、すぐコケる選手は若い時期に「サッカーばかりやっていたからかもしれない。
ここら辺は指導者が全身のバランスが取れるような運動要素を持つ練習を意識して組み立ててあげなければいけない所なのでしょう。
少年サッカー7つの心得−その7子供にとっての「楽しいサッカー」を一緒に作りあげていきましょう! 本文では、子供のサッカーは「またゲームをしたいと思うポジティブな経験」でなければらず、その「楽しいゲームの中でグループにおける役割や身体面での強化を 図っていくべき」であると述べております。
その中で「大人は子供の「誰もが」サッカーを楽しんでいるかどうかを確認」してあげる必要がある、ということです。そして最後は「指導者は常に手本であることを忘れないでください。子供は”真似の天才”です。そして、それはあなたの言ったことではなくあなたの行いを真似るのです」と結ばれております。
「子供にとっての楽しいサッカー」というのは、どういう事なのでしょうか?
よく、「チームの勝利」が絶対で、「チームが勝てば皆楽しいはずだ!」「チームが勝ったのだから、皆で喜ぼう!」と「チームが勝つこと」と「個人の楽しみ」を混同(?)されている方がおられます。
・・・確かに、全員でがんばった末に「勝利」がもたらされる訳ですが、それが必ずしも「子供たち個人個人」の楽しみになっていない場合があるのを我々は忘れてはいけないのでしょう。
試合には11人、いろいろ交代してもせいぜい15〜6人しか参加できません。控えの子供たちは「楽しい」のでしょうか?
また、試合に出たメンバーにおいても、納得するプレーができず、「悔しい思い」をしている子供もいるかもしれません。
試合に出た子供、出なかった子供含めて全員が「楽しめた」ゲームというのはそうそうないのかもしれません。
目先の「勝敗」に指導者が一喜一憂して、そういった子供たちの気持ちを「勝った=楽しい(はず)」という思い込みで捕らえてしまってはきっといけないのだと思います。 子供たち一人ひとり、皆個性がありますし、考え方や感じ方も違います。
そういった「個人」に対する注意や配慮があってはじめて「子供たち全員が楽しくサッカーできた」となるのだと思います。
また、最後に述べられている「子供は我々指導者の行いを真似る」というのは、常に我々が肝に銘じておかなければならないことなのでしょう。
指導者がある選手のミスを皆の前で叱り飛ばしたとします。
そうしたら子供たちも「そうだ、あれは○○君がいけないんだ!」とその選手を非難するようになるでしょう。
指導者が集合や練習の時間に遅れたりすれば、自分達も少しくらいなら遅れても良いんだ、と時間にルーズな子供たちが出てきます。
指導者が子供たちの見ている前で審判批判を大声でしているようであれば、子供たちは「審判への批判」はしても良いものだと思うかもしれません。
指導者=聖人君子である必要はないと思いますが(^^;、子供たちの前ではやはり「よき大人」であり「よき社会人」であり「よき先輩」であり「よき親」であるべきなのだと思います。