みなさんの思い出に残る一打はいつだったでしょうか?
社会人、大学、高校、中学、小学
私の快心の一打は、中学1年秋でした。
ツーアウトランナー2塁,一打同点の場面
打席には2年生の先輩が入り、いかにもやる気のなさそうな見逃し方で、2ストライクまで2球で追い込まれました。
「タイム!代打!metoo!」
ベンチで試合に出れず、うずうずしていた中学1年生時代、初めて試合に出る中学野球は代打でした。
いきなりの代打、それもツーストライクからの代打
迷いも何も無く、1球勝負、来た球を思い切りぶっ叩くだけ!
初球をレフトオーバータイムリー2塁打!
この一打から、私のバッティングは変わり始めました。
あんなに気持ちよく打球が飛んだのが、初めてでした。
バットとボールがぶつかると、あんなに飛ぶんだ!
体の回転って、腰の回転って、あーやれば飛ぶんだ!
レフトオーバーのポイントって、あそこだったんだ!
迷わずにフルスィングって、気持ち良いなぁ!
何だ!中学でも、俺は打てるんだ!
この時代は誰からも打撃を教わる事はありませんでした。
顧問の先生は、できる子だけを使います。何も教えません。
人数は1年生で約40人いました。変わりはいくらでもいます。
先輩からプロ野球選手から、技を盗むしかありませんでした。
少年野球の指導を始めた頃は、ギャーギャー教えていましたが、フッと我を思い出したとき、あの快心の一打がなければ、自分は野球をバッティングを好きになっていなかったかもしれません。
ある時期から
子供達にバッティングを教えるより、
100球に1発でいいですから、
あの、快心の一打を打たせてあげたい。
そう思うようになりました。
60m70m飛ばした快心の一打を、50球に1発、20球に1発、10球に1発、だんだん体に染み込んでくるでしょう。
私はこの時、良い時の分析を、しっかりしておかなければいけないと思いました。
「今のバッティング良かったね、何が良かったの?」
「今日のバッティングだめじゃん、何が悪かったの?」
きちんと言葉で自分を分析させてみました。
子供達が、迷いだしたら、良い時の分析した言葉で戻してあげる。
「自分の良い時はこういったスィングで、悪い時はこうなっちゃったスィング」
ここまで自分でいえたら、私の役目は終わりです^^